国際文化学科の武藤ゼミ生3名は11月2日に、旧島津氏玉里邸庭園を訪れました。
同庭園は、第27代島津藩主・島津斉興が作庭した回遊式庭園です。のちに焼失し、島津久光により再建されましたが、第二次世界大戦で再び焼失。現在は黒門、茶室、長屋門のみが残り、戦後に再現された下御庭のみが一般公開されています。
ゼミ生たちは、長屋門が180度向きを変えて移築された理由や、黒門が久光の国葬の際に造られたことから正門となった経緯などについて意見を交わしました。下御庭の見学後は、鹿児島女子高等学校のご厚意で上御庭も見学し、作庭の特徴や違いを実際に確認しました。
その後、関吉の疎水溝を訪れ、ボランティアガイドの方から説明を受けました。学生たちは熱心に耳を傾け、積極的に質問をしながら、疎水溝が農業用水から飲料水、そして近代工業の動力へと用途を変えてきた歴史を学びました。説明に紡績業との関わりが触れられていない点にも気づくなど、学びを深める機会となりました。
同庭園は、第27代島津藩主・島津斉興が作庭した回遊式庭園です。のちに焼失し、島津久光により再建されましたが、第二次世界大戦で再び焼失。現在は黒門、茶室、長屋門のみが残り、戦後に再現された下御庭のみが一般公開されています。
ゼミ生たちは、長屋門が180度向きを変えて移築された理由や、黒門が久光の国葬の際に造られたことから正門となった経緯などについて意見を交わしました。下御庭の見学後は、鹿児島女子高等学校のご厚意で上御庭も見学し、作庭の特徴や違いを実際に確認しました。
その後、関吉の疎水溝を訪れ、ボランティアガイドの方から説明を受けました。学生たちは熱心に耳を傾け、積極的に質問をしながら、疎水溝が農業用水から飲料水、そして近代工業の動力へと用途を変えてきた歴史を学びました。説明に紡績業との関わりが触れられていない点にも気づくなど、学びを深める機会となりました。
