■チェコの首都プラハは美しい古都である。カレル大学(現在のプラハ大学)は、1365年創設のウィーン大学より17年も早く、1348年に創立されたドイツ語圏でもっとも古い大学である。チェコは昔も今もスラブ民族であるチェコ人の国ながら、ドイツ人が多くドイツ語が流通するドイツ文化の範疇にあった。カレル大学を作ったのもドイツ系の国王だった。
 高校時代にならった世界史を思い出すと、ゲルマン民族がローマ帝国内に怒濤のごとく侵入して割拠した頃、スラブ諸族はゲルマンの跡を追うようにしてカルパチア山脈(現在のスロバキア北部からルーマニア北部に連なる山脈)を越えてエルベ川(チェコ北部を水源としドレスデンを経てハンブルクへ至る)以東、現在のポーランド、チェコ、スロバキア、バルカン半島へと移動した。

■パリを中心として、ゲルマンの一派フランク族が建てたフランク王国はキリスト教に改宗することによって国力を伸張させ、紀元800年頃、世に名高いシャルルマーニュ(チャールズ大帝)によって領土をエルベ川あたりまで広げた。
 ちょうどこの頃、西スラブ族はチェコ(ボヘミアとモラビア)とスロバキアを中心とする大モラビア国を建てたとされるが、日本語で書かれた東欧史、チェコスロバキア史、スラブ史を見ても詳細はよくわからない。
 大モラビア国は西のドイツ(神聖ローマ帝国)と南のハンガリーとに挟まれて常に緊張関係にあった。特にハンガリーと抗争を繰り返したために疲弊し、10世紀になるとチェコ人によるボヘミアを中心とする再統一の動きが顕著となった。
 これをリードしたチェコ人のプシェミスル朝は鉱山開発などの殖産事業につとめる一方、カトリックを受け入れて国情を安定させ、神聖ローマ帝国の一員としての地歩を固めた。
 1212年、プシェミスル朝オタカル1世率いるボヘミア王国は独立国として承認された(神聖ローマ帝国の一員となったことを意味する)。国力が増すにつれて神聖ローマ帝国内のドイツ諸侯やハプスブルク家と衝突することになる。この時期のボヘミア王国は民族国家としてしばしの黄金時代を謳歌する。
 13世紀半ばを過ぎる頃、続くオタカル2世はボヘミア王国の中央集権化を推し進め、さらなる領土拡張政策に出た。これに危機感を持ったドイツ諸侯はハプスブルク家のルドルフ1世を神聖ローマ皇帝とし、1278年、ウィーン東方のマルヒフェルトの戦いでオタカル2世を破った。
 チェコ国民オペラの創始者スメタナの書いたオペラ第1作「ボヘミアのブランデンブルク人」は、この直後のプラハが舞台になっている。

■チェコの代表的なオペラ劇場であるプラハ国立歌劇場はしばしば来日はするものの、公演は「椿姫」や「トスカ」といったポピュラーなイタリアものばかり。チェコのオペラがテレビ放送されることもめったにないから、極東の日本にあってはチェコにはどんなオペラがあって、それらがどのように上演されているかなど知るよしもない。
 僕がよく通う東京の中古レコード店にはプラハで制作されたチェコ・オペラのLPレコード(スープラフォン・レーベル)が、いつ訪れてもいくつか置いてある。音楽史の教科書に出てくるスメタナのオペラもドヴォルザークのそれも、僕はこれらのLPによって知ることができた。(スープラフォンよ、ありがとう。中古レコード店よ、ありがとう。安くてありがとう。)
 LPにはチェコ語の他に英独仏語の解説と対訳がついているので、英語を頼りに内容を理解することができる。

■スメタナのオペラといえば、日本ではもっぱら「売られた花嫁」が知られるのみだが、生涯に8つのオペラを作曲している。代表作「わが祖国」を聴けばわかるように、スメタナは本質的に劇的構成力にすぐれている。そのオペラが面白くなかろうはずがない。
 スメタナの第1作オペラは1863年、39才の時に完成した。決して若くない年齢での第1作で、ここに至るまでのチェコの社会状況とスメタナの創作活動との関係は興味津々のものがあるが、今回は第1作「ボヘミアのブランデンブルク人」の概要を紹介する。

■前述したようにボヘミア王国のオタカル2世はマルヒフェルトの戦いで死ぬ。攻め寄せるハプスブルク軍に対抗すべく、その未亡人クンフタ妃は夫オタカル2世の甥にあたるブランデンブルク辺境伯オットー5世に援助を懇願した。オットーはみずから軍を率いてプラハに到着し、これによってハプスブルク軍はボヘミアへの侵攻を中止した。
 
 しかしこのことが新たな災いをボヘミアにもたらした。ブランデンブルク軍はまるで敵地を占領したかのような振る舞いを始めたのである。ブランデンブルクにボヘミア侵攻の口実を与えたようなものであった。クンフタ妃は監禁され、プラハはブランデンブルク兵に蹂躙された。
 その後、ブランデンブルクとハプスブルクは協定を結び、ブランデンブルクのオットー5世がボヘミアを統治することになった。以後、ボヘミアの玉座にチェコ人が座ることはなく、外国の君主によって占められることになる。チェコ人にとっては屈辱の出来事であった。
 
■プラハの経済的利権はドイツ系市民が握っていた。オペラの中で悪役として登場するのがタウゼントマルクというドイツ系市民である。卑劣きわまりない人物で、ドイツ語で千マルクという意味。ドイツ系市民への当てつけがミエミエのネーミングだ。
 タウゼントマルクはブランデンブルク軍と通じている。かねてからプラハ市長ヴォルフラムの娘ルディシェに惚れており、ブランデンブルク兵侵入のどさくさの中で求愛するも、にべもなく拒否される。ルディシェにはチェコ人の若い貴族ユーノシュという恋人がいるのである。
 プラハ市街ではブランデンブルク兵の狼藉に乗じて、飢えた民衆が略奪行為を働いている。リーダーは逃亡奴隷のイーラ。そこへタウゼントマルクから逃れたルディシェがやってくる。これを追ってタウゼントマルクも現れ、イーラと対決。この騒動のすきにブランデンブルク兵はルディシェを連れ去る。
 そこへ市長ヴォルフラムも暴動を収拾しようとやってくる。タウゼントマルクはイーラ一味がルディシェを拉致したといい、イーラはウソだと抗弁するが、ヴォルフラム市長はタウゼントマルクを信用し、イーラの逮捕を命ずる。ここまでが第1幕で、ワーグナーを思わせる力強い音楽に溢れている。

■第2幕はルディシェとその妹2人が、ある村の館の中にブランデンブルク兵によって監禁されている。ヴァルネマン隊長のねらいは身代金。とろこがブランデンブルク兵に3日以内に撤退せよとの命令がもたらされるので、隊長はさっそく市長のもとへ身代金要求の使いを出す。
 一方プラハではイーラの裁判がおこなわれている。法の下に…、というヴォルフラム市長に対しイーラは「アンタたちのいう法なんてインチキ。ルディシェを拉致したのはタウゼントマルクと通じたブランデンブルク兵。証人はプラハ民衆である」と主張するが、受け入れられず処刑の判決。このあたりのイーラの態度に、初演時の聴衆は喝采を送ったことであろう。
 そこへ身代金の要求が届く。あわてるヴォルフラム市長に、解決は自分に任せてくれと主張するタウゼントマルクをヴォルフラム市長はまたしても信用し、全権を委任する。

■第3幕は再び村の中。タウゼントマルクがやってきてヴァルネマン隊長に身代金を渡し、ルディシェとその姉妹の引き渡しが約束される。
 タウゼントマルクはカネはいくらでも出すから、撤退するブランデンブルク兵といっしょに自分たちも連れて行ってくれと頼む。ここに残っては裏切り者としてチェコ人に糾弾されることが明らかだからだ。しかしすでにタウゼントマルクの卑劣さを知っているヴァルネマン隊長はこれを拒否。
 窮地に陥ったタウゼントマルクはルディシェを拉致して国外逃亡を図る。駆けつけた恋人ユーノシュと、ユーノシュによって処刑を免れたイーラの活躍によってタウゼントマルクが発見され、ルディシェは無事救出される。
 ここに至ってようやくヴォルフラム市長は自分の判断ミスを認め、謝罪のしるしにプラハ郊外の屋敷をイーラに与える。一同はヴォルフラム市長を讃え、平和の訪れを喜ぶ。

■台本は続く「売られた花嫁」も担当したサビーナという詩人による。お世辞にもすぐれた台本とはいえない。タウゼントマルクの悪人ぶりが紋切型だし、主役たるべき逃亡奴隷イーラの経歴や苦悩がまったく描かれていない。登場人物に深みがない。ヴォルフラム市長の判断力のなさも目に余る。とはいえこれは最初のチェコ国民オペラ。
 1861年2月、チェコ国民オペラのコンクール開催が発表された。国民劇場建設のための募金活動は、すでにその10年前から始まっていた。スウェーデンのイェーテボリで糊口を得ていたスメタナは、国民オペラを創作し国民劇場で上演する決意を持って帰国した。
 このオペラを提出して見事コンクールで1等を得たものの、ドイツ系と見なされたための反発から、すぐには上演されなかった。3年後の1866年、仮国民劇場にてようやく初演され、熱狂的に迎えられた。
 音楽の力強さが台本のまずさを補っている。熱狂もうなずける。

西洋歌舞伎風俗評判記  No9 2009/2/1  戻る  研究室トップヘ


         スメタナの第1作オペラ「ボヘミアのブランデンブルク人」