入選作をもとに討論集会を
学生論文コンテスト
学生論文コンテストに応募した8人の論文を読みました。それぞれに青年らしいものの見方が表れていました。なかでも有屋田智香さん(社会福祉学科4年)の論文「障害受容」を読んで、啓発を受けました。だれでも持っている人間としての「弱さ」「強さ」を考えるのに、重要なことを教えてくれたからです。
論文によれば有屋田さんは15歳のとき、事故で脊髄を損傷しました。現在は車椅子で生活する「障害者」です。「歩けるようになるかもしれない」という言葉を受け入れていた自分に対する憤り、「だまされた」という錯覚にはじまり、体力の回復にともない「歩く」ことに対する執着が消えていくまでの経過は、苦悩に満ちています。
「私は障害を乗り越えても、受け入れてもいないと思う。私の中で、障害があるという現実が当たり前になっただけの話なのだ。周りから見れば、それらが受容というように見えるかもしれない。だが、良いことも悪いこともすべてが事実であり、それが自分のことであると受け入れるという作業は、精神的にも肉体的にもたいへんな労力を使う。・・・自分を受け入れるというのは難しいことなのだ」
障害は彼女がこれから一生負っていく弱さです。歩くことに対する執着はなくなっても、「障害者」としてみられ、呼ばれる。これも一生続きます。しかしその苦悩のなかで、彼女は、同じ苦悩を持つ人を当事者同士としてカウンセリングするという将来を、模索しようとしています。
同じ障害を持たない健常者であるわたくしは、その意味で「強さ」を持っているのですが、健常者としての「強さ」からは生まれないあるいは達成できない可能性がそこにはあります。弱さゆえに新しい形の強さが誕生するといってもよいでしょう。
試験の成績で測った学力(学ぶ力のことではありません)が、弱い人あるいは強い人がいます。弱いがゆえに、強い人には期待できない新しい領域をひらくことがあります。あるいは強いがゆえに、その強さにとらわれて、視野が狭くなる、浅くなるということがあります。
神に照らして本来不完全である人間の集団は、弱さが新しい強さを生み、強さが弱さを生むという逆転を繰り返しながら、新しい価値をつくる。こうして有屋田さんの論文は、弱さの豊饒性とでもいうべきことを、教えてくれました。
昨年の論文コンテストにも優れた論文がありました。優れた論文は表彰を受けるのですが、表彰は「式場」という密室で行われ、論文の内容も「みなみ風」で短い要約が読めるだけでした。論文をめぐる討論集会(コロッキューム)を、学生たちが組織してくれないでしょうか。
