ドキドキ自己反省の連続

6000ccに点火:No.2(2004/5)

授業参観

5月に入りきょうまで4つのパイロット授業を参観しました。(退官講義を聴講する多くの機会に恵まれたとはいえ)同僚の通常の講義を聴くのは初めてです。その意味である興奮を覚えるのは当然だし、またわたくしには初めて聴く分野である場合もあり、たのしいという感慨がわいてくるのも当然です。
しかしそれだけではない。それは何だったのか。いくつかの「参観」をした後、授業を聴きながらドキドキしているとき、わたしの講義はあれでよかったのか、という反省をしていたことに気づきました。

思考は講義の文脈を追いかけているのですから、反省といっても断続的です。とはいえこの反省は通奏低音のように、講義を聴くわたしの心の中で続いていたようです。中園聡先生の「先史・歴史文化論」の場合を例にとって、この反省のゆえんを考えてみました。
科目のテーマは「弥生時代はいかにして始まったか―弥生時代開始のプロセスとその意義」です。わたしが聴講した日は、朝鮮半島と九州西北部で発掘された弥生時代早期の遺構、各種の石器・土器を比較しながら、先生のいう「弥生革命」の秘密(プロセス)を解明する授業でした。
なかでも両地域の壷にみられる石でみがいた痕跡の違いに注目して、新しい文化の渡来とその適応の様相を探ろうとする方法は、圧巻でした。わたくしの言葉でいえば、文物をみてある観念からそれを解釈するのではなく、文物をみて、その背後にあるシステム、あるいはシステムを支えている「知」の形成・様式を探る、そういう認識のしかたです。もう少し前にこの考えに接していたら、わたしの講義はもっと洗練されていたろう―ドキドキの反省です。

わたくしの専門は経済学ですが、去年の7月まで3年余り、ある大学の社会学部産業社会専攻で「産業経済論」を担当しました。経済理論の研究で必要でありながら研究されていない重要な領域、(産業)技術・制度と社会の共進化という分析に手をつけ始めていたので、お誘いを受けてよろこんで移りました。
社会学系、経済・経営系のスタッフのほかに、産地・産業集積、科学技術史、知識・技術の創生と社会的メインテナンスの領域で、優れた研究者がおられたことも、魅力でした。(ちなみにこの専攻はその後、社会システムデザイン専攻に改編されましたが、改編にいたる議論はたいへん充実したものでした)
産業経済論の担当はもちろん初めてです。したがってその分野の標準的な研究文献をいくつか読みましたが、ほとんどが特定の産業をとりあげ、その由来と現状、国際比較を行うというスタイルをとったものでした。
おそらく数年もたてばその知識は「陳腐化」するだろう、それでは学生たちにできるだけ陳腐化しない「なに」を教えるべきか。1年間模索しているうちに考えたのが、産業社会にみられる特徴的な現象をシステムとしてとらえ、その背後にある「知」の形成の動態として講義するという方法でした。産地・産業集積、トヨタ的システム、イギリス産業革命、ITと社会などそういう方法で講義する努力をしました。自分の研究能力が試されていると感じながらです。

 「参観」は授業を行うひとを啓発することにつながる。単純にそう思っていましたが、参観に参加して啓発を受けたのは、いずれの講義でも、わたくしでした。パイロット授業が与えてくれた予想もしない体験であり、発見です。「参観記録」にならないドキドキの参観をこうして続けるつもりでいます。

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