トヨタ産業技術記念館

6000ccに点火:No. 65(2009/9)

過去の蓄積が今のパワーに

日本で特許条例が公布されたのは1886年(明治18年)です。「ソノ布告ヲ見テ、欣然(きんぜん)トシテ惟(おもへ)ラク『是(こ)レアルカナ』之(コ)レ即(すなわ)チ、…一生ヲ通ジテ此(こ)ノ発明事業ニ没頭スルニ若(し)カズト、茲(ここ)ニ漸(ようや)ク方針ヲ定メ、発明ニ志シタル次第ナリ。因ミニ発明トハ、全ク此ノ世ニ無キ事柄ヲ頭ヨリ揉(も)ミ出スコトニテ、我ガ領土内ニテ埋立開墾スル等トハ異リ、祖先ノ脛(すね)又ハ国ノ脛ヲ囓(かじ)リナガラ、幾分ノ功績ヲ世ニ残ストイウガ如キ意味ニアラズ。全ク我ガ心身ヲ苦メテ、新事実ヲ搾(しぼ)リ出スコトナリ」。(『発明私記』)

少年のこころに湧く沸々とした情熱。これは日本の近代産業を始動させた豊田佐吉翁が、15、16歳のころを回顧した文章です。

8月下旬、名古屋に用事があったので、その機会にトヨタテクノミュージアム・産業技術記念館を訪ねました。1994年にできたミュージアム。日本における織物・自動車産業発展の歴史的・技術的基盤を、機械・装置の展示・実演を観ながら「見学」できる場所として、当初からわたくしのまわりの研究者たちの間でも評判でした。JR名古屋駅桜通り口からタクシーで15分ぐらいのところにあります。

「一般に日本の技術者は机上の技術者が多い。海外の智識は相当取り入れて居るも、それを実行するとなると自信を失い、他人の非難を恐れて断行する力に欠ける。即ち、批評する力はあるが、実行する力がない。…一日中一度も手を洗う事なくして食事をなし得る技術者では、日本工業の再建は覚束ないであろう」。トヨタ自動車10万台の生産を記念して、豊田喜一郎氏はこう述懐しています。1947年5月のことです。

織物と自動車の国産化を主導した2人の技術者(兼事業者)の言葉を引用しました。日常的に発生する現場の課題を繰り返し考え、それを解決するための試行・実験の繰り返し。記念館をめぐりながら、その営為の足跡をたどっているような気持ちになりました。

わたくしもよく学生たちを連れて、工場見学に出かけました。トヨタの工場も見学しています。見学のコースが準備され(企業秘密があるから当然です)、そこで稼働している現実の工場を見るのですが、眼前にあって稼働している工場のシステムやそれを構成している装置、部品の加工などを、過去の営為が蓄積したものとして観る視点にはなかなか気づかない。それが普通です。「動態保存」的に歴史を伝えようとするミュージアム設計の構想に感動しながら、残暑の厳しい名古屋を旅しました。

 

 

 

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