日本語と英語

6000ccに点火:No.61(2009/5)

ニュアンスの違いを愉しむ

外国語を理解することは難しい。負け惜しみではありませんが、それでも、愉しい。簡単にその理由をいえば、母国語と外国語のはざまで、言葉とその用法を通してそれぞれの歴史・文化の違いを教えられるからです。

二つの文章、She got into the classroom とShe went into the classroomを、日本人の大学生はほとんど全員が「彼女は教室に入った」と訳すそうです。わたくしでもやりかねません。正しくは、後の文章は「(意識するほどの努力もせずに普通に)教室に入った」のであり、前の文章は「(ドアの鍵は閉まっていたが)なんとか(2階の窓から無事に)入りこんだ」という意味です。英語を母語とする者には自明の区別ですが、わたくしたち日本人には難しい区別です。

一方、日本語の勉強を始めた米国人の学生たちがESSみたいに日本語の会話を練習している。通りがかりに聞けば「siru、siru」という言葉が出てくる。文脈からして「知る、知る」、つまりI know, I know(「そうだ」「分かる」)と相手の言葉に相槌を打つときの、日本語の表現らしい。米国の学生は、knowには「知る」、understandには「分かる」という日本語を機械的に対応させているのです。

二つの例はいずれもM・ピーターセン氏の『心にとどく英語』(岩波新書)に出てくるエピソードです。氏は東京の大学の英文学教授。同じ岩波新書で『日本人の英語』(正・続)があります。実は昨年末、私立大学協会の職員の方から、『日本人の英語』を愛読していると聞きました。それ以後、飛行機や電車の中で教授の日本語で書かれた3冊の新書を読み続けました。

言語が持つ歴史・文化の背景に立ち入りながら、英語を母語とする著者が、外国語である日本語で母国語の解説をする。外国語である日本語で書かれていることに注目しましょう。もし日本人の学者が日本語で書いたとすれば、ある緊張感と的確さが不足し、わたくしたちの「心に届く」作品にはならなかったでしょう。

著者は外国語の日本語で書き出す最初の文章から、日本語とは何かという意識を絶えず持たねばならず、そうすることはそうでない場合に比べて、ほかならぬ英語の解説をよりわたしたちの「心に届く」ものにしているからです。

辞書で外国語の日本語訳を知る、そして一つだけその意味を覚える。よくある勉強の仕方ですが、この方法は結局遠回りになるか、またはモノになりません。それぞれの言語は1対1の対応でできあがったものではないからです。新学期の読書案内までに。

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