別れと出発の節目に心騒ぐ

6000ccに点火:No.59(2009/3)

卒業

3月19日は本学の卒業式でした。大学の大きな行事とはいえ、毎年のことです。それでも心には小波が立ち、風が吹きます。いま眼に映るのは、風のないのどかな陽光に数輪ほころび始めた桜ですが、それでも心が騒ぐのです。あたかも自分の卒業式のように、と思いかけましたが、そうでもありません。

その自分の卒業式です。小学校から大学まで人並みに卒業しているとはいえ、どういう卒業式だったのか、その情景をさだかには思い出せません。ふだんのときの先生たち、友人たちの表情は、例えば久しぶりの同窓会に出かける朝でも、思い浮かぶのですが。

ましてやその折の式辞ともなると、何も思い出せません。不敬なことです。いや思い出した! つい先ほどそう思ったのですが、よく考えるとそれはわたくしが教授になってからのことで、役目柄卒業式のひな壇に列席しなければならず、頼まれて学長の式辞の原稿に目を通すことがあったからでした。

自分の卒業式は、大ホールにぎっしり群れ集まった黒い詰め襟集団。その一隅で、友人たちと声をひそめて話しをしていました。ホールのガラス窓を透して届く春の陽光の中です。

卒業する前のことはよく思い出します。卒業に必要な最小の単位をとって卒業する。いまになればその戦略の合理性は不明ですが、戦略にしたがい選んだ講義だけ試験を受けました。

計画した最終科目の試験の朝、夜行列車で下宿に帰り教室に出ました。試験が終わり数日して、1科目でも落とせば卒業できないということに気付きました。青天の霹靂です。眠れない夜もありました。合格している大学院にも進学できない。たいへんなことです。 無謀な計画だったと骨身にしみるまで悔いました。

幸い試験は合格して卒業しているのですが、合否を確認したはずのそのときの、うれしかったはずの情景は、まったく思い出せません。総括すればどだい不合理な計画でした。

本学では今年、約1000人が巣立ちました。卒業式を終えた卒業生たちは、ある感慨を持って社会に出て行きます。卒業式の情景はしばらくの間、かれらの胸に残りますが、やがてわたくしの卒業式と同じように、ピントの合わない映像に変わることでしょう。

学長の式辞にいたっては、その変容はもっと急速なはずだ。そう分かっていながら、教職員は卒業式を大切に準備し、わたくしはわたくしで、卒業生たちがすぐ忘れるはずの式辞を準備します。

心が騒ぐのは、別れと出発という数少ない機会の意味をわれ知らず予感するからでしょうか。

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