青春の初々しい模索の軌跡

6000ccに点火:No.56(2008/12)

学生論文コンテスト(2)

学生論文コンテストに入賞したAさんの作品を取り上げ、前号のコラムに書きました。3人の他の受賞者も、コンテストの指定論題「私にとって『大学』とは」を選んでいます。そしてAさんと同じく、いずれも青春の初々しい「模索」の軌跡を伝えています。

このコラムのテーマにふさわしいので、引き続き紹介します。

「国際なんて行きたくない!」。理由は二つ。最大の理由は友人にバカにされる。もう一つの理由は学費の問題。大学に行くとなると奨学金がどうしても必要だが、行きたくない大学に行って、数百万円の借金を自分で抱え込むという大矛盾。進学校卒でしかも前期・後期の国公立試験に失敗したB君が、直面しなければならなかった状況です。

「大学は鏡だった」と彼はいま振り返ります。10社ほどの就職活動が失敗し、第2志望の企業の面接では気後れして何も言えなかった。しかし入学来の友人と長所・短所を相互に腹蔵なく語る機会があって、自分の力だけで生きているような傲慢さを指摘されます。その後、第1希望の企業の最終面接に出かけ、内定を得ました。

「鏡」には息子をほとんど無口で見守った父の姿も鮮明に映っています。

もの静かな6000㏄あるいは文化空間という森をゆっくり逍遥する貴公子。そう形容したいC君の論文でした。

シェイクスピア論を受講して、『ハムレット』の劇中劇の仕組みに驚く。地域を知っていたつもりだったが、本当は理解していなかった自分を知る。これらの講義を聴いて、自分の内面に起こった変化に驚く。こうしてC君は、歩きながら立ち止まり、野の花を愛でるように学生生活を送っています。

大学入学、次は卒業と就職。この初めと終わりだけに注目するのが社会の風潮ですが、彼はその間に経過する4年間の意義に注目します。「自らの来た道や行くべき、行きたい道を改めて見つめ直し…または脱線することのできる場」として。

DさんはC君のいう「経過する4年間」の意義を、ぜいたくにも2回享受しようとする学生です。

1回目は単位をほとんど取らない大学生として、2回目は取らなければならない単位の多さに歓喜する再入学生として。取得しなければならない単位を多く残した、数年前の自分に感謝する。このような再入学生をわたくしは知りません。

何が起こったのでしょう。退学中、語学留学した外国で、自分よりはるかに日本を知っている外国人の学生たちに出会ったからです。「日本を知らなかった日本代表」の6000㏄に拍手を惜しみません。

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