「スロー」な企画と原風景
桜島と固定電話
2年前、高校の恩師K先生が米寿を迎えられたので、お祝いの会を開きました。先日遠地の友人が、先生はこの春、卆寿だよと知らせてくれました。2年前に88歳のお祝いをしているのに、この知らせに驚きました。あわてて「企画」です。
2年間いっしょに過ごしたクラスで、気のおけない仲間たちですが、不思議なことに定期的なクラス会を開いたことはありません。いつもだれかが思いつき、企画・調整するという具合です。この形式が始まったのは、記憶に間違いなければ、京都での集まりでした。
北山・周山の古刹に近い料亭に先生ご夫妻をお招きし、深山の紅葉を遊びました。級友たちがそれぞれの勤務先で、重要な地位に着き始めたころです。事実B君は酒席をはずし、外国からの電話に応対していました。ほとんど忠実に鹿児島弁の訛りを踏んだ「標準語」より、英語の方が「品がよか」。すぐに酒席の話題になったものです。
さてあわてねばならない「企画」のことですが、鹿児島にいるわたくしが担当するのが順当のようです。そこで鹿児島はもとより、遠地の級友たちと話をしました。すでに70を過ぎ、ほとんど現役を退いています。固定電話で話をするのがよいと判断して夜の電話。3日はかかりましたが、それでも(受信の時間を含む)延べ2時間ぐらいの電話で、期日、場所、宿舎が決まりました。
卒業後初めて出席する2人の医者も加わって、20人のパーティになります。「先生が来られなくてもやろうか」。クラス会がもう始まっているような電話のやりとりでした。固定電話でなければありえない企画・調整だったと振り返っています。
決まった場所は桜島です。「そぃはよかナー」。たまにしか帰省しない級友たちの意見でした。空港に降り立つと桜島を探すといいます。「そげなとこぃでよかかナー?」というのは鹿児島在住の一人、残りの鹿児島組は「そぃがよすごわんド」でした。鹿児島を暮らし続け、鹿児島を知悉している級友たちの好判断だと思いました。
陽光のシラス台地、広がる菜の花、麦のみどり、その向こうに群青の海と火山の島。少年時代に共有したわたくしたちの風景です。わたくしにすれば、遠くにいて鹿児島と聞けばいつもほうふつとして思い浮かぶ風景です。少年を遠く過ぎて、心に宿っている原風景といってよいでしょう。
級友たちもひとしくそう思っているに違いありません。きょうも桜島を観ます。わたくしたちにとって桜島は「固定電話」だった、形まで似ている。ふとそう思いました。
