鹿児島国際大学  国際文化学部博物館実習施設

鹿児島国際大学ミュージアム

収蔵品

考古学ミュージアムの収蔵品を毎月更新で紹介します

考古学を身近に感じてもらうために、本学の考古学ミュージアムに収蔵している品をホームページで毎月紹介します。展示中の品は実際に見ることができますので、お電話(099-261-3211)でご連絡のうえぜひお立ち寄りください。


スイジガイ

 

フィジーの魚皿

 

スイジガイ(水字貝) は、スイショウガイ科に分類される巻貝で、「スイジガイ」の名称は、6本の突起をもつ形が漢字の「水」に似ていることに由来します。西太平洋とインド洋の熱帯域に広く分布し、日本では本州南部以南の、サンゴ礁や岩礁の砂礫底などに生息しています。

 

スイジガイは食用のほかに、沖縄や奄美諸島では先史時代から利器や装飾品として使用されていたことが明らかにされています。また本州では、スイジガイ製の貝輪が副葬される古墳が見つかっており、古墳時代には呪術的なパワーをもつものとして、南島から本州へ運ばれたようです。近年では、沖縄や奄美諸島では魔除けとして家の玄関や家畜小屋に吊されていました。なお沖縄県の名護市と宮古島市では、市のシンボルとなって人々に親しまれています。

 

(2009年8月掲載)

 


フィジーの魚皿

撮影:日高志穂・兼子沙智子(2008年度博物館実習生)

フィジーの魚皿

南太平洋のフィジーでの土器作りの起源は、3000年前以上前にさかのぼることが明らかにされています。しかし19世紀頃からの西欧人の植民によって、土器作りは大きく変容します。そして土器は日用品としてだけでなく儀礼的・威信財的な意味も持っていましたが、西欧の経済と文化の浸透によってその意味は失われ、1950年代からは観光客向けのアトラクションやみやげ物製作として行われることになり、以前とはことなる意味が創出されています。

 

上の写真はフィジーで作られた魚形の皿ですが、これも観光客向けのおみやげ用として新たに生み出された器種であると考えられます。伝統的な文化が変化していくことはもはや避けられないことですが、その過程を観察することも異文化を理解する際には大切な作業となるのかもしれません。(石村智「饒舌な土器」『日本考古学協会2008年度愛知大会研究発表資料集』2008年、Rossito, R. Stylistic Change in Fijian Pottery. Pacific Studies, 18-1. 1995年より)。

 

(2009年2月掲載)

 


一湊式土器

 

一湊式土器

 

一湊式土器は、南部九州、特に大隅諸島を中心に分布する縄文時代後期の土器です。「縄文土器」といえば、縄を土器の表面に押し付けた文様がイメージされますが、実際にはさまざまな道具によって文様が描かれています。この一湊式土器も、表面には櫛状の沈線や列点文、貝殻の縁による文様などが観察され、縄文土器の製作者の独特な世界観が体現されているのかもしれません。

 

上の写真は、屋久島横峯遺跡で出土した一湊式土器です。表面には、雲母が多く観察されます。これは、同時に出土する市来式土器とは異なる特徴であり、土器製作の材料が型式によって異なっていたことがうかがえます。大隅諸島の縄文土器の生産と流通を考える際の手がかりの一つであるといえるでしょう。

 

(2008年10月掲載)

 


ラピタ土器

撮影:大保翔吾(2007年度博物館実習生)

ラピタ土器

ラピタ土器は、紀元前1500年から500年ごろにさかえた南太平洋の「ラピタ文化」を代表する遺物です。現在のポリネシアやミクロネシア、メラネシアの一部を中心とする各地域の文化は、ラピタ文化が起源となったとみられています。これまでの研究によれば、ラピタ人は主に船上で生活を営み、すぐれた航海術をもっていて、祖先は東南アジアに由来すると考えられています。紀元前1500年前後には南下してメラネシアの島々を伝って東へ移住を開始し、およそ紀元前1000年ごろには中部・東部太平洋諸島をへてトンガやサモアにたどり着いたことが、考古学や言語学などの研究から推測されています。

 

上の写真の土器はフィジーのボウレワ遺跡で採集された3センチほどの小さな破片ですが、表面にはラピタ土器に特有の幾何学的文様を確認できます。本学では、蛍光X線分析装置を使って、ラピタ土器の流通や移動の解明にも取り組んでいます。

 

(2008年7月掲載)

 


現代のタイの村で作られた土鍋

 

棍棒

東南アジアのタイやラオスなどでは、フィジーと同様に昔ながらの土器作りが現在でも行われています。タイでは、土器作りは主に女性が担当しますが、生産の規模や製作方法は各地でさまざまです。タイの村では、土器はスープなどの調理用の鍋や貯蔵用の容器、骨壺などに利用されていますが、町のレストランでもトムヤムクンなどの鍋としてみかけることができ、政府も各地の特色ある土器作りを奨励しています。

 

上の写真は、東北部のタイの村で作られた土鍋です。表面にはワラで焼かれた際に付着する黒斑や、タタキ板によって成形した痕跡が確認できます。これは日本の弥生時代や古墳時代の土器とも共通性をもつ特徴で、日本の先史時代の土器作りを考える際にも重要な手がかりとなりうる資料です。

 

(2008年5月掲載)

 


フィジーの棍棒

撮影:壹岐浩輔(2007年度博物館実習生)

棍棒

棍棒は、打撃によって相手を攻撃する武器で、世界でもっとも古く発生した武器の一つであると考えられています。フィジーの民族では、特に多様な形態の棍棒が発達したことが知られており、首長にかかえられた特殊技能者が、何年も若木の根を育てて棍棒を製作します。かつては、カンニバリズム(食人儀礼)や海亀とりなどの儀礼にも使用されていました。

 

上の写真の棍棒は、投てき用のもので、現在のフィジーでは、民芸品として売られています(『文化人類学辞典』弘文堂、1994年より)。

(2008年3月掲載)

 


タイの村で使用されている土器作り用タタキ板と当て具

撮影:松田 悠(2007年度博物館実習生)

タタキ板と当て具

土器作りの際に、板で粘土の表面を叩き締めることによって土器を成形する方法を「タタキ技法」といいます。この技法は、陶芸用のロクロの普及にともない急速に衰退しつつありますが、中国や韓国、東南アジアなどの陶芸工房や伝統的土器作りが残存する村落では、いまでも観察することができます。同様な技術によって作られた土器やそれにともなう道具類は、日本の古墳時代や古代の遺跡などでも出土しており、かつては東アジアで広く普及した土器製作技法であったことをうかがうことができます。

 

上の写真は、タイの土器作り村で使用されているタタキ板と、叩きの際に内側から押さえるための土製の当て具です。タタキ板には、繰り返しの使用のため、板の中央に浅いくぼみがみられます。昔ながらの土器作り技術や、土器製作者の身体の動きなどを検討するためにも貴重な資料です。

(2008年2月掲載)

 


現代のフィジーの村の住民によって作られた鉢形土器

撮影:赤崎彩美(2007年度博物館実習生)

鉢形土器

現代の陶芸品は急速に工業化されており、規格化された商品を大量に生産し流通させるのが主流です。したがって、電動の陶芸道具や窯などを使用しない、昔ながらの伝統的土器作りは、世界中で急速に衰退しつつあります。しかしながら、東南アジアやアフリカ、南太平洋のフィジーなどの限られた地域では、数千年前からの土器の製作技術が今も残っており、縄文時代や弥生時代のようなはるか昔の土器の製作技法を考える上で重要な手がかりを与えてくれます。

 

上の写真は、フィジーのナカンブタ村で作られた鉢で、食物の盛り付けなどに使われるものです。表面には焼成後に樹脂が塗られ、光沢を帯びています。独特なデザインで装飾され、昔ながらの焼き物の素朴な雰囲気を感じ取ることができます。

(2008年1月掲載)

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