学校法人 津曲学園

学園の設置校紹介
学園創立80周年関係
創立者

津曲 貞助


「東西文化の融合」「上下一貫教育」を
目標とした「津曲学園」建学趣旨

本学園創立の陰には「母の願い」がある。学園創立当時、貞助(創立者)の家は県立第一高等女学校近くにあった。毎春入学試験合格発表当日、不合格となり落涙して帰る娘達を目の当たりにし、胸を痛めつけられていた貞助の母は、その都度女学校が増えることを願った。

一方明治以降、本県の教育は、その底流に官尊民卑・男尊女卑・士農工商の三つの風土的な特徴をもっていた。日頃からこれを憂慮していた貞助は敢然としてこの風潮に抗し、大正11年12月12日、私学振興を目指し東西文化の融合と上下一貫教育を目標とした「津曲学園建学趣旨」を世に発表し、女子教育の普及をかかげて高等女学校を設立。次いで経済社会の発展を担う経済人養成をめざす九州では、私学として最初の高等商業学校を設立した。母の願いは実り、ここに新しい時代に即した、南日本の教育の殿堂が生れたのである。


その後、戦争中における入学者の減少、空襲による施設の壊滅、戦後における学制改革や財政的窮乏など、幾多の苦難を教職員と共に乗り越えてきた学園は、今日では、大学・短大部・高校(2校)・中学校・幼稚園の6校を擁し、学生、生徒、園児総数8,000人、教職員数800人、卒業生総数122,128人に達する西日本でも有数の学園に成長している。


 

津曲学園建学趣旨

世ニ称ス山水秀麗ノ地往々偉人ヲ生ズト,
之ヲ我ガ薩隅日ノ地ニ見ルニ,
霊峰高千穂巍々トシテ北秋ニ聳エ,
大瀛ノ水洋々トシテ三州ヲ繞ル。

更ニ之ヲ国史ニ稽フルニ,
我ガ三州ハ畏クモ皇租発祥ノ霊地ニシテ,
肇国宏遠ノ曙光ハ実ニ茲ニ発セリ。

神代三世ヨリ神武天皇ニ及ブマデ,
我ガ祖先ハ克ク忠順ヲ輸シテ建国ノ大業ヲ翼賛シ,
爾来大義ニ殉ヒ,
遂ニ明治維新ニ至リ,
俊髦輩出シテ回天ノ偉績ヲ弼成シ,
大ニ祖風ヲ顕彰セリ。

加之古来外国文物輸入ノ門戸トナリ,
上下ノ人土亦採長補短,
克儒仏両教ヲ消化シテ士風ル培ヒ婦徳ヲ養ヒ,
且ツ西教渡来ニヨリテ,
西洋文明輸入ノ源ヲ啓キ,
以テ明治文化ノ先駆ヲナセリ。

今ヤ我ガ国ハ世界三大強国ノ一ニ居リ,
亜細亜ノ友邦ヲ指導シテ太平洋ノ平和ヲ確保シ,
東洋思想ヲ基調トシテ西洋文物ノ粋ヲ抜キ,
以テ東西ヲ融合セル世界最高文化ヲ建設スベキ地位ニアリ。
是ニ於テ乎,
我ガ三州人ハ此民族的大使命ノ遂行ニ於テモ,
亦率先其任務ヲ果サザルベカラズ。

而シテ其途多端ナリト雖モ,
其根本ハ教育事業ノ完成ニ如クハナシ。

是レ余ガ教育報国ノ為ニ一身ヲ献ゲントスル所以ナリ。

惟ミルニ我ガ祖兼矩学ヲ究メ徳ヲ磨キ世道人心ヲ益セントセシガ,
不幸早世シテ其志成ラズ,
余ガ両親深ク是ヲ遺憾トシ嘱スルニ之ガ継承ヲ以テス。

殊ニ母ハ現今入学難ノ声高キ女学校建設ノ急ヲ説ク,
茲ニ微力ヲ顧ミズ,
蹶然起チテ此天与ノ教育的環境ニ拠リ,
先ヅ高等女学校ヲ建テ,
漸ヲ追ウテ上下一貫ノ学園体系ヲ造リ,
一ハ以テ現時教育施設ノ缺陥ヲ補ヒ,
一ハ以テ大ニ私学ノ特長ヲ発揮セントス。

冀クバ我ガ学園ニアルモノ,
自律自重研学撓マズ,
協同一致義勇公ニ奉ズルノ精神ヲ養ヒ,
内ハ以テ萬世一系ノ皇室ヲ翼賛シ奉リ,
外ハ以テ世界文化ノ進運ニ寄与センコトヲ。


大正11年12月12日
鹿児島津曲学園設立者 津曲貞助

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