鹿児島国際大学

津曲学園のスタート

―母の言葉を胸に―

鹿児島高等女学校校舎

 津曲学園のスタートは、大正12年(1923年)4月15日の鹿児島高等女学校の開校にさかのぼります。大正時代には、当時の教育振興の気運の高まりとともに各種教育機関への入学希望者が増加していましたが、急激な志願者の増加のため学校施設の体制が追いつかず、教育機関への入学希望がかなえられず学業をあきらめる若者が多くいました。  

鹿児島県議会議員で実業家の津曲貞助は、このような状況を憂い、県や市の当局に学校建設の必要性を訴えましたが、財政上の理由から当局関係者は首を振るばかりでした。

 また貞助の母の津曲早子は、自宅近くの女学校の前で、入学試験不合格の結果を目にして女子が父母とともに涙にくれている姿を見て、胸を痛め、彼女らの勉学ために女学校を建設してほしい、と息子の貞助に懇願しました。早子は、学校建設のため、のちに自身が隠居する予定であった土地を女学校建設のため貞助に渡すことも約束しました。このような母の思いもあって、貞助は私立学校建設を決意したのです。  

ただし、学校建設に至るまでには多くの困難があり、貞助自身も当時学校建設の資金は十分ではなかったと述懐していますが、親戚からの資金援助などもあり、大正11年10月には鹿児島高等女学校の設立申請にこぎつけました。翌12年4月15日には、政府から設置の認可を得て、鹿児島高等女学校第1回入学式を挙行することとなりました。  

こうして設立された鹿児島高等女学校を皮切りに、昭和3年には鹿児島中学校、昭和4年に鹿児島高等家政女学校および鹿児島幼稚園と次々に学校を興し、昭和7年(1932年)、九州で初めての私学による商経の高等教育機関となる鹿児島高等商業学校を開校することになりました

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