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「東アジア資本主義形成史」成果あげ研究終了

東アジア資本主義形成史 4言語で出版地域総合研究所が総力を挙げて取り組んだ「東アジア資本主義形成史」の共同研究が大きな成果をあげて予定通り3月に終了した。

故菱山泉理事長(当時学長)の依頼を受けて私が地域総合研究所長に就任。日中韓台の12人の研究者による共同研究を始めたのが03年。本学として初めての本格的な国際共同研究であり、いろいろ困難も多かった。特に社会科学の国際共同研究は国によって研究レベルや問題関心に違いがあり、それを共同研究の過程で相互理解を深め、共通の認識を作り出していかなければならない。

そのための有効な方法として年間2回の合宿研究会を中心に据えた。東アジア各地から集まって泊まり込んで報告と討論を重ね、夜は相手を選んでさらに論議を深める。ときには個人的な問題も話し合い、人間関係も親密になる。各国の第一線の研究者は忙しい。年2回の合宿研究会は本当にハードだったが、それが成功の大きな要因だった。

最近東アジアは世界の高成長地域であり、関心も高まっているが、少し前まではむしろ経済的に遅れた・停滞的な地域と見られていた。「アジア的停滞論」が世界の学界で幅を利かせており、どうしてアジアは停滞的なのかという関心が主流であった。戦後、日本の高度経済成長を皮切りに現実の東アジアの経済成長が進んでも、学界の問題関心が変わるのには時間がかかった。

私が東アジア経済史に取り組み始めた70年代半ばには日本の経済史学会の関心は海外については圧倒的に欧米中心で東アジア経済史の関心は弱かった。しかし、東アジア経済は日本を先頭に、韓国・台湾・シンガポール・香港のアジアNIESの台頭、ASEAN諸国の工業化開始、中国の改革開放政策への転換によって東アジアが大きな資本主義的広域経済圏を形成するようになると、世界の学界の関心も急速に高まった。しかし、現実の変化があまりにも急激であるためにその変化を事後的に説明する研究が圧倒的である。それでは、なぜ、どうしてそのような急激な経済の変化・発展が起こったのかは説明できない。それには歴史的検討が必要である。われわれの共同研究はそこに狙いを定めた。

共同研究の成果は多岐にわたるが、私の研究に引き付けて言えば、最大の成果は次の二つである。第一は、東アジア(日中韓台)は16~18世紀に自立的小農を中心とする社会(小農社会)となり、この小農社会が資本主義を生み出す母胎となったことである。世界の中で近代以前に小農社会が成立したのは東アジアと西欧だけであるが、それが両地域で資本主義が形成される基本条件であったのである。しかし、両地域の小農の在り方は自然条件に規定されて類型的な違いがあった。

第二は、両地域の資本主義への発展は主として国家の在り方及び国家間関係の在り方の違いが原因となってその速さに差異を生み、19世紀に西欧の主導性が確立した。西欧主導の世界市場のもとでの東アジア工業化の特徴は複線的工業化(政府主導の上からの移植型大工業と在来型中小零細工業)である。欧米以外の資本主義的工業化はこの二つの工業化の複合によって成功する。そのいずれを欠いても順調な発展は望めないのである。

(中村哲・地域総合研究所前所長)

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